2025年8月31日、SUPER EIGHTの横山裕さんが「24時間テレビ 48」(8月30・31日)のチャリティーランナーを務めることが発表されました。
横山裕 「24時間テレビ」チャリティーランナー就任「支援を必要としている子どもたちに少しでも力に」(Yahoo!ニュース)
24時間テレビのチャリティーマラソンに関しては、毎年「いらない」「意味ない」「いつまでやるの?」などの声があがっています。
いつからチャリティーマラソンをするようになったのか、そしてなぜ「24時間テレビにマラソンなんかいらない」と言われているのかを解説します。
日テレ「24時間テレビ」チャリティーマラソンの歴史

「24時間テレビ」チャリティーマラソンの第一回は1992年。
ランナーは間寛平さん(当時43歳)で、走行距離は153kmでした。
以来、毎年おこなわれることになる看板企画の一つとなりましたが、開始当初と現在ではその位置づけや意味合いが大きく変化しているようです。
初期のマラソン企画は、本当の意味でのチャリティー精神を体現する企画として始まりました。
出演者が自らの体力を限界まで削って走ることで視聴者に感動と共感を与え、寄付を募るという純粋な目的があったのです。
しかし、時代とともにこのマラソン企画は「視聴率の獲得」と「番組クライマックスへの演出」としての役割が色濃くなっていきます。
近年では、走行距離や完走時間が事前に綿密に計算され、ゴールのタイミングも番組終了直前に合わせるよう調整されていることが指摘されています。
このような演出重視の姿勢が、視聴者から「やらせ」「茶番」といった厳しい批判を受ける要因となっているのです。
チャリティーマラソンなんていらない、やめろの声

多くの視聴者が24時間テレビのマラソン企画を「いらない」と感じる最大の理由は、本来のチャリティー精神とかけ離れた演出にあります。
視聴率を求める番組制作側が、ランナーや募金者の純粋な善意を歪めているという批判が根強く存在しているのです。
まだ暑い8月末にランナーを24時間走らせるという暴挙も、現代の人にとっては「感動」より「心配」が先に立ってきます。
過度な演出と制作費への批判
ランナーの疲労具合や感動的なシーンが意図的に作られており、視聴者は「感動の押し売り」と感じているようです。
また、高額なギャラが支払われているタレントが「チャリティー」の名の下に走ることへの違和感も指摘されています。
本当にチャリティーの精神があるならギャラを辞退すべきではないかという声も少なくありません。(2024年のやす子さんはノーギャラとのこと)
さらに、マラソン中継に多大な制作費がかかっていることも問題視されています。
中継車やスタッフの人件費・警備費用など、これらの費用を直接寄付に回した方がよほど社会貢献になるのではないかという意見が多く寄せられているようです。
視聴者からの「マラソン不要」論
ネットユーザーの意見を見てみましょう。
「24時間テレビにマラソンなんていらない」
- 猛暑になった現代の熱中症リスクを無視している
- 番組のエンディングに合わせた予定調和のゴールインにうんざり
- 感動の演出のために命を危険にさらすのはもう終わりにすべき
- ランナーとして走らせるより募金を呼びかけてもらえばいいのでは?
- トレーニングに費やす時間をボランティアに回せば良いのに
- マラソンは毎年批判もすごいしそろそろやめてくれ
ちなみに、24時間テレビのチャリティーマラソンを「待ってました!」と肯定する意見は見つけることができませんでした。
チャリティーマラソンに意味がないのにいつまでやるの?
24時間テレビのマラソン企画が「意味がない」とされる理由は、現代における効果的なチャリティー活動とは程遠いものになっているからなのです。
現代のチャリティー活動では、透明性と効率の高さが重視されています。
SNSの普及により、個人でもクラウドファンディングなどを通じて効率的にチャリティー活動ができる時代になりました。
しかし、24時間テレビのマラソンは制作費や出演料などの経費が不透明で、実際にどれだけの金額が募金されているのか分かりにくい構造になっています。
また、一過性のイベントとしての性格が強く、継続的な社会貢献活動としての意味合いが薄いという指摘もあります。
にもかかわらず、テレビ局が多額の制作費をかけてマラソン中継を行う必要性について疑問視する声が多いのも当然といえますよね。
視聴者は「いつまでこんな時代遅れの企画を続けるのか」という率直な疑問を抱いているのです。
感動的な企画はマラソンである必要がないと思います。
本来のチャリティー精神を取り戻し、視聴者が心から応援できる番組にしてほしいですね。